今朝は出遅れて今宮さんをタップリ回って来よう!

いつもは船岡山からのかえり道で、桜門から東門を抜けて紅葉の変化を見て帰ってるが、今日は東門より入ろうかな(^^)

紅葉はここ最近の冷え込みで燃えてきた(^^)

東門で空を見上げて、パシャ❗️





今宮神社は沢山の神様が居られるので、マップを見てると...  

気になるモノが...


左下だよ☝️

ナマズはどこに居るの?


昨日にこれを見てて気になったのねん


それと今朝 一文字屋さん(今宮神社創建時代からの創業1000年! 日本最古のお菓子屋さんってネットに書いてあったんよ☝️) の方が店支度をされてて、立ち話させて貰ったら、もともと この東門が正面やったそうです。

確かに桜門は大正末期に建立やしな、門前通りは広くて見通しが良いので変えたのかな?


ではでは玉の輿神社じゃなく、今宮神社正規ルートでお参りだ!


上野街道と今宮通りのコーナーから

そう言われるとこっちが表だった感じ

京都NAVIによると、

大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の三柱を祀る神社で正暦5年(994)に船岡の上に創立されたといわれ、疫病の神として信仰が厚い。一条天皇は疫病鎮めのために御霊会を修せられ、長保3年(1001)に初めてこの三柱を現地に勧請せられた。  本殿は明治35年(1902)の再建で、その西にある疫神社は本社が鎮座される以前からあったといわれ、素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る。  今宮の名は、この古い疫神社に対し、新しい宮を意味する名称である。

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まだこの頃は疫病鎮める神様、玉の輿神社はもっと後。
今宮神社となる前は、スサノオノミコトを祀っていたらしく、朝廷が神興2基を造って船岡山に安置したのが994年。 


これが今宮神社創建元年だって☝️


で 名前が変わったのが、冒頭の理由だよ(⑉︎• •⑉︎)


で 西陣の八百屋の娘 お玉が徳川三代将軍 家光の側室となり 生まれた男の子が五代将軍 綱吉で、従一位 桂昌院となった事から、玉の輿神社とも言われてるみたいだね☝️


で 桂昌院は乱世で荒廃した氏神さんの今宮神社復興に尽力したんだね☝️


元禄7年(1694)に御所車や鉾などを寄進したんよ!

元禄7年に造営した宗像社(弁天さん)と、その奥にある
手水舎の井戸(お玉の井)水を貯める石の桶?(^^)
は京都西?奉行の奉納ですね!


もともとこの石の桶は東向きに設置されてたようで、後に北向きに変わったらしいです。桜門が出来てからかなぁ?...

東門紅葉 いい色になってるね


東門から真っ直ぐが神橋で左側が宗像社から手水舎へ
こっちの石畳が元禄時代のかな? 柄が違うね


神橋も元禄の遺構ってマップに記載されてるな


もう一度空を見上げて....


左手に神馬舎ですね、お人形の白馬が凛々しく立って居られます。(^^)


神馬舎横から宗像社を見る


元禄時代らしき石橋を渡って 宗像社の案内板...

ん...



うん...



あった〜 ナマズ‼️

案内板に書いてあるやん(^^)

ここの台石か!


ここが元禄時代の正面か


ちゃんと年号あるね! 元禄時代のモノでしたか...


でもこうして見ると手水舎や、木立のなかでひっそりしてるねえ


もう少し引いて見ると、いつもの好きな風景


てか、全然知らなかった... すいません


桜門の方を見ると、朝陽を浴びてきれいや!


これも立派な門ですね

ボロ儲け西陣の旦那衆が寄贈したのかな(^^)

末社に織物の神様を祀ってるだけあるね👍


三手先の組物で大屋根は角は四手先かな?


朝陽の紅葉と桜門




しかし氏神さんの事全然知らなかったよ(⑉︎• •⑉︎)